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鶴田志郎さん-鶴田有機農園(熊本県田浦町)

鶴田志郎さんと鶴田ほとりさん 鶴田自然農園にて
株式会社マルタ会長、鶴田有機農園の鶴田志郎さんとおつれあいのほとりさん。甘夏をはじめ、昨今話題の中晩柑類を他種類栽培されています。味は濃く、香りよく、風味もいい。3拍子揃った中晩柑類です。

有機農業の先駆者たちが有機の町を作った


 有機農業の先駆者の方々が有機農業に取り組み始めた1970年代。この運動は、日本のあちこちで誰に言われるともなく始まったように思えます。つまり同時多発的に有機農業運動が生まれたということなのでしょう。

 

 現在重鎮とされる方々は、だいたいその地域でただ一人有機農業を始め、最初は農協からも近所の人からもバカにされたり頭がおかしいと言われたり、そんなことするなら出荷させない的な嫌がらせを受けた人が多いと聞きます。

しかしそのうち、彼らを慕って有機農業に興味のある人が集まってきて、最終的に「有機農業の町」とか「村」とか言われるようになったり、そこを卒業した人がまたあちこちに散らばって有機農家が増殖していく、というような流れがあるように思えます。現在、有機の町や村が全国各地に生まれているのは、もともとは「その土地で有機を始めた人」がいたからこそではないか、と思っています。

 

 有機の町には「その町で誰かが始め、成功し、地域の人々ともうまくやっている」ことが条件なのかもしれません。コアとなる人がいて、初めてその土地に有機農業が根づくのです。誰も有機農業に取り組んでいなかった土地で、新規就農者が有機農業を始めるのはむずかしいものです。有機農産物がスーパーであたりまえに売られるようになっているにもかかわらず、いまだに「頭がおかしい」的なことを言われるところもまだあるのです。

 

 では「有機農業を始めた人々」は「なぜ始めた」のでしょう。

 

 よく聞くのが、有吉佐和子さんの『複合汚染』がきっかけというものです。また「(近親者が)農薬まいて酒飲んで風呂に入ったら倒れて病院に行った」等の農薬の薬害でなにか大変な事故が起こったのをきっかけに、という話も以前はよく聞きました。当時の農薬は今と違い、危険性が高かったため、農薬=素直に「悪」「危険なもの」でした。またトンデモな使用方法というのもわりとまかり通っていたこともあります。

 

 ナスのつやを良くするためにホリドールにドブ漬けしたとか(ホリドールは現在では失効しています)今なら農薬取締法で即出荷停止なさまざまなことを、わりと平気でやってたという昔話をよく聞きました。この話を聞くと、中国のことをなんだかんだとは言えません。

というようなこともあり「有機農家が有機農業を始めた理由」は主に安全性によるものが多く、わたしはそれがあたりまえ、というか一般的な理由だと思っていました。有機農産物の流通も同じで、まず「安全性」が最優先。農薬や化学肥料を使っていないものであれば、虫食いはあたりまえ、虫がつくのは無農薬の証拠、というような、有機農業技術が未完成だったために起こる誤解がまかり通っていた部分もありました。

 

 

熊本県田浦地区の柑橘類の畑
向こうの山の斜面にあるのが、田浦地区の鶴田有機農園の畑。斜面なので農家の高齢化に伴い、放棄される園地が増えています。数十年前、甘夏の木を一本植えると100万円になった頃、山を切り開いて皆甘夏を植えたのでした。

安全性ではなくおいしさを。有機農業を選んだ理由

 そんななか、「安全性」よりも「おいしさ」を追求し、有機農業を選択した、という農家がいます。それが株式会社マルタグループの取締役会長・鶴田志郎さんです。

 

 鶴田さんは熊本県芦北町の田浦で有機栽培の中晩柑類を栽培しています。

 熊本の人ならご存知でしょうが、田浦は海際まで山の迫った不便な土地。平地が少ないので少しばかりの水田と畑しかなく税入が非常に低い貧乏な村でした。そこで、すでにレモンやネーブルを栽培し柑橘類では先駆者だった鶴田さんのお父さんが「甘夏」を育種し、その栽培を始めたのです。

 

 昭和30年代後半の当時、みかんが終わったあとの晩柑類と言えば夏みかんしかありませんでしたから、甘くておいしい新しい品種・甘夏は、べらぼうに儲かったそうです。当時の価格で一本の甘夏の木から上がる売上が一万円だったということですから、一反(10a)に100本植えると100万円。昭和40年頃の100万円の価値。どれぐらいでしょう。とにかくとても儲かったことだけは確かです。

 

 植えれば植えるほど儲かるため、皆が山を切り開いて甘夏を植え、しばらくすると貧乏な村で有名だった田浦地区は、税収が全国TOP10に入るお金持ちの村に生まれ変わりました。この景気のいいときに鶴田さん親子はなぜか農薬をまくのをやめ、有機農業の道に踏み入ったのです。その理由がなんと「おいしさ」と「微生物」でした。

 

 【ある時、義父は東京・神田市場でちょっとした情報を仲買人から得ます。この年の鳥取のナシはひどい不作で味が悪いのに、一産地だけ例年通りにうまい梨を出してくるところがある。というのです】鶴田ほとりさん『みかん山に吹く風』(熊本日日新聞社刊)より

 

 この秘密が知りたくて、鶴田さん親子は鳥取に行ってみました。その人たちは堆肥で梨をつくっていました。当時は化成肥料をバンバン入れて作物を作る時代、なぜ堆肥でつくると味が良くなるのか。鶴田さん親子はそのギモンを解き明かすため、これを科学的に証明できる人を探します。

 

有明海に面している甘夏の畑 鶴田有機農園
最新の研究報告で、光の波長によって作物の食味が良くなることがわかってきました。夕日が当たる斜面のトマトの研究ですが、これはみかんやブドウでもあてはまるそう。鶴田さんの畑は有明海に面していて西陽が当たります。食味が良いのは光の加減も関係しているのかも。

有機柑橘類は引く手あまた? はばたけ! 新規就農者!

 つてをたどって京都大学農学部の研究者、小林達治さんを紹介してもらった鶴田さんは、土の中の微生物の働きや作物の食味との関係などを聞きました。その後、まず化学肥料を使うのをやめ6ヘクタール分の畑の農薬もやめたのです。近隣の人達からは当然のごとく、かなりなんだかんだ言われたそうです。儲かっているのにそんな新しいことをする必要はないじゃないか。なんで今そんなことをするのだ、とお説教をされたこともあったそうです。

 しかし鶴田さん親子は有機の道をひたすら歩み続けます。

 

 まず、1974年、マルタ有機農業生産組合を立ち上げ、全国の有機農業に取り組む生産者と連携します。数年後には堆肥センターを作り良質なぼかし肥料である「モグラ堆肥」の生産をはじめました。モグラ堆肥はわたしも家庭菜園で使っている、初年度から食味があがるすばらしい堆肥ですが、鶴田さんの歴史を知ると、さもありなんとしみじみ思ってしまいます。食べ物はおいしくなくてはならない、ということでしょう。そして「おいしい作物」を作るには、肥料、そして微生物が大きな役割を果たすのです。

 

 鶴田さんには「化成肥料がダメな科学的な理由=微生物→堆肥=食味向上」というビジョンがまずありました。おいしいものを作るには、土づくりから、という農業の基本を見直し、選択したのが有機農業だったのです。一般的な有機農家とは少し違うアプローチで有機農業に取り組んだ鶴田さん。現在でも田浦地区で耕作放棄された畑を借りて、研修生を受け入れ甘夏を栽培しており、一部の圃場では有機JAS認証を取得しています。

 

 柑橘類で有機JAS認証を取得するのはむずかしいものですが、昨今のオーガニックブームを受け、有機甘夏や有機みかんを探している大手スーパーが増えているそう。その他の品目では「有機って何かメリットあるの?」などと言われるなかで、なぜか有機柑橘類だけ引く手あまた。昨今では、食味の良い中晩柑類がどんどん登場し、ブランド品種も多くなっています。今後、有機甘夏を始め、有機晩柑類に注目が集まるでしょう。この流れに乗って、鶴田有機農園から新規就農者が大きく羽ばたいていくといいですね。