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太田好尊さん-(株)千友(鳥取県米子市)

太田好尊さん-(株)千友(鳥取県米子市)の写真
白ネギ畑の太田好尊(よしたか)さん。退職後の新規就農、あらゆる意味でスゴイ人です。

アパレルの営業から白ネギ農家へ。きっかけは親戚のお葬式

大阪で物流関係の営業をやっていた太田さんが農業に興味を持ったきっかけは、おつれあいの親戚のお葬式で鳥取に帰り、白ネギ農家の出荷に同行したときのことです。

 

 白ネギは1ケース1600円。その日50ケースを出荷したので売上は8万円でした。「一日で8万円の売上かあ。スゴイなあ」と素直に思った太田さん。2日後、もう一度出荷に同行しました。その日のネギは1ケース1800円。「値段が上がったから」と80ケース出荷したので、売上は14万4000円でした。

 

 「その親戚の家がすごい豪邸だったこともあり、農業ってスゴいな、と思いました。いつまでも大阪にいないでこっちに帰って来たらという親戚一同の誘いもあり、定年まで働いても退職金が変わらないと聞いて、58歳で新規就農を決意したんです」

 

 大阪から鳥取へ引っ越し、退職金で古民家を購入しリフォーム。鳥取での白ネギ農家生活が始まりました。最初はJAに出荷していた太田さんですが、就農後1年3ヶ月でJA出荷をやめ、自分の白ネギを自分で売ることに。太田さんは猛烈な営業をスタートします。

 

 「そりゃもうがんばりました。米子から但馬へ、そして西に移動し益田、下に降りて広島、呉、岡山、姫路、津山へ営業し、なんとか6社、売り先を確保したんです。

 もとの仕事がアパレルの物流だったため、食品流通のことは素人ですから、小・中学校の同級生で鳥取の市場に勤務していた友人に青果流通を一から教えてもらいました。最終的には自分で開拓した売り先へ市場通しで荷物を送ってもらうルートも確保できて、よぶんな運賃を支払わずにすんだ。その同級生には今でもとても感謝しています」

 

 ただ、困ったこともありました。JAへの出荷をやめたので、農薬や資材の情報が全く入らなくなったのです。

 白ネギ栽培は全くの素人の太田さんは、栽培技術情報をなんとかしたいと考え、まず市の農林課を訪問しました。いろいろと相談に乗ってもらいましたが、まだ足りません。さらなる情報を求めようと「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構」(通称・農研機構)に電話し、白ネギの栽培について質問しました。

 

 「ネギ属の担当は三重県にあります。僕が電話したのは東京だったので、『三重に電話して』と言われ、電話してあれこれしつこく質問しました。そのうちに担当者が「一度こっちに来てみたら」と言うので直接行ってみました。そこで、ネギの病害虫や防除方法、栽培技術を詳しく教えてもらえたんです」

彦名干拓地の白ネギ畑の写真
太田さんの畑は米子市の彦名干拓地。2000年の鳥取県西部地震で液状化現象が起こり、 地下からヘドロのような硬い土が湧いてきました。その部分はどんなに耕してもダメなので、 今後は干拓地から撤退し、昔からの農地に変えていこうと思っているそう。 液状化現象は農地にも起こるんですね。

白ネギの栽培技術をゲット。さらに新しい技術を確立。

 「当時、白ネギの栽培は一般的には春と冬がメイン。夏ネギは栽培が難しいから夏にネギを出荷する人はあまりいなかった。誰も白ネギを出さない期間が数ヶ月ある。農業で儲けるコツは【人が出せない時期につくること】でしょう。だから周年栽培をやってみようと思った。そこで、農研機構に相談し、周年栽培の技術を確立しました。

 今は周年栽培の人が増えてきたけど、この地域で始めたのは僕が最初じゃないかな。周年栽培でも難しい時期、皆があまりつくらない時期を狙って多めに作付けしています。誰も出さない時期に出せばいい価格で売れる。だいたい固定価格で取引しています」

 

 まさに販売の教科書通り「人の出せない時期に出す」を実践し、収入も面積もスタッフも増えていきました。

 

 「農研機構につながっていろいろな情報をもらえるようになったら、県の職員が白ネギのことを聞きに来るようになった。そうこうしてたら7年前、鳥取県が特別栽培農産物に力を入れることになったから特栽を取ってみませんか? と言われ、それ以来特栽で栽培しています。今は特栽で周年栽培の白ネギという付加価値商品として売り出しています」

 

 JAから抜けて10年。8反からスタートした面積は9ヘクタールに増えました。

 昨年からは農研機構が開発したコンパクトネギ「ゆめわらべ」の試験栽培を始め、主に大阪に向けて「プチ友」というブランドで出荷を始めています。

 

 「プチ友は背が低いから土寄せもそんなに必要ないし、栽培期間も短い。普通の白ネギは10ヶ月かかるけど、プチ友なら半年で出荷できるんです。普通のネギみたいに外側の皮が口に残らず柔らかいし、小さいから一日で使い切れて、カバンや冷蔵庫にも入れやすいってことですごく好評で売れ行きもいいんです。

 また、この長さと柔らかさが飲食店でも使いやすいということで、東京の有名なすき焼き屋さんに試しに使ってもらってます。

 通常の白ネギは10ヶ月かかるところプチ友は半年で出荷できる。畑を有効に使えるので年間の出荷量も増やせますよね。だから今後はプチ友の昨付けを増やしていこうと思っています」

短いネギ、プチ友の写真。
同じ長さでキッチリそろってとてもきれいに結束されててラベルが季節ごとに変わるネギ。どれを見てもほぼ同じ見た目を維持しています。細かったりして形の悪いものは 加工用で別に出荷しています。このラベルは秋バージョンで、11月いっぱいまで。 「遊びゴコロですよ」とおっしゃっていましたが、その発想にもビックリです。
ネギの結束風景写真
結束テープはブルーじゃなくてゴールド。女性の手でていねいに結束されてます。 上下に二箇所結束したあとさらに「プチ友」のラベルをくるんと巻きつけるんだから、手間がかかります。しかしこの一手間が、数あるネギのなかからお客様が手に取るきっかけになるのです。

土日は休み。休むときはちゃんと休んで息抜きを

 

 株式会社千友のスタッフは太田夫妻以外に7人。出荷数が多いときは残業もありますが、土日は何があっても休みにする。それが太田さんのこだわりです。

 取引先には「土日の出荷はできません」と伝え「それでも」というところと取引しているそう。

「従業員が楽しく仕事できることが大事」という千友の作業場では、若い女性たちがネギの調整作業をていねいに、そして楽しそうにしていました。

 

 「平日どんなに忙しくても残業になっても、土日は休んで家族と遊びに行ったりたまった用事を片付けたりする時間が必要だと思っています。農業は大変な仕事ですが、息抜きが大切。だからそこだけは譲りません」

 

 もともと農家ではないのに難しい白ネギで新規就農(しかも58歳)というだけでスゴいのですが、自力での販路開拓と自ら周年栽培技術を作り上げるなど、さらにスゴい太田さん。さらにさらにスゴいと思うのが「商品の見せ方」です。

 「プチ友」は結束テープで巻くだけでなく、季節ごとにラベルを付け替えています。年間5種類あるラベルは12月からは年末バージョンに変わります。他のラベルは片面印刷ですが、年末バージョンは裏面にも印刷されていて、なんとそれがおみくじになっているのです! 

 買って帰った人がお家の台所でおみくじを見つけ、ちょっとほっこりするこの工夫。次に行ったら「プチ友」を選ぼうと思ってしまうでしょう。このような常識にとらわれない発想力の豊かさが太田さんの強みです。

 

 同じ価格のネギが並んでいたら、かわいらしくてきれいなものを選びたい。そういう女心を理解している女性スタッフよるていねいな仕事(調整・結束作業)も、お店に並んでいるときに思わず手にとってしまう人気の秘密ではないでしょうか。小さなことですが、ただ作って出荷するだけではない数々のアイディアが、太田さんの成功の秘訣なのでしょう。

 

 58歳からの新規就農し、しかも独自で販路と栽培技術の獲得ルートを開発し、地元の若者を雇用しつつ行政も利用して規模を拡大している太田さん。太田さんのネギ・プチ友は新橋の「とっとりおかやま館」買えるかもしれません。また、大阪のスーパーにも置いてあるそうなので、食べてみたい方はぜひプチ友のラベルを探してみてくださいね!